第6講 日本の流通機構
戦前における日本の流通機構は、大型の百貨店と零細な小売店との奇妙な組み合わせであった。つまり企業として存在するのは、三越・高島屋・大丸といった百貨店だけで、2番手はなく、零細な商店が多数、生産として営まれていた。これは、ちょうど工業における大規模な重工業対町工場という図式と同じであり、経済の二重構造と呼ばれていた。
戦前、日本経済は農業中心で、自給自足を原則といたから、自家生産の困難な商品についてだけ、生産者を兼ねる小規模な商店が存在した。洋服店・履物屋・家具屋・和菓子屋などはこの例である。もう少し大規模になると、生産者と商店との間に生産地問屋や消費地問屋が外在する流通機構が存在した。乾物屋・荒物屋・小間物屋・洋品店・書店・魚店・肉店・八百屋・お茶屋・おもちゃ屋・駄菓子屋・呉服屋などがその例である。
なかでも呉服は大商品で、これを中心に取り扱う呉服屋が、現在の有名百貨店となった経緯はよく知られている。三越・高島屋・大丸の旧名には、百貨店でなく呉服店という名称が付けられていた。
1960年代になってから、流通業の改革が本格化したのは、消費者の可処分所得が増加したり、生活習慣が変化したりしたからである。労働者は賃上げを通じ、農民は米の価格所得保障を通じて、大量生産・大量消費の市場を出現させた。3C(カー・クーラー・カラーテレビ)と呼ばれる耐久消費財は、メーカーが自ら新たに構築した流通機構――ディーラーを通じて販売された。
トヨタ自動車はその支配下にある東京トヨペット・東京カローラなどを通じて車を売し、その一方で盛んにテレビ広告・雑誌広告による販売促進を行った。また松下電器は、松下系列の販売店や独立チューン店を通じて、テレビや「白モノ」――冷蔵庫・洗濯機・炊飯器など――の家庭電化製品の大量販売に努めた。家庭電化製品の普及は労働力不足とあいまって新たな流通革命をもたらした。
たとえば、家庭に電気冷蔵庫が備えられ、主婦が食品のまとめ買いをすることができるようになった。その結果、肉・卵・酪農製品の消費が飛躍的に伸びた。これらの食品流通の中心になったのがスーパーマーケットである。百貨店などの対面販売と異なったセルフサービスの導入は、労務費負担の軽減にもなった。
の本の流通業を複雑にしている理由の一つに商社の存在を忘れることはできない。商社は戦前からの2大商社(三井物産・三菱商事)を中心とする総合商社と、鉄鋼・繊維製品を中心とする専門商社に分類されたが、現在では、どの商社も多かれ少なかれ経営の多角化を目指しており、「インスタントラーメンからジェット機まで」と称されている。
たとえば、商社、丸紅は、綿花をアメリカから輸入して鐘紡(綿紡績業)に売り、それを使用して鐘紡で作られた綿布を再び買い入れ、更にこれを加工業者に渡してシャツを作らせ、それを問屋に卸したり輸出したりする。
また、インスタントラーメンの原料である小麦は、たとえば、総合商社三井物産を通じてカナダから輸入され、食糧管理法によっていったん国に売卸され、製粉会社日本製粉で小麦粉となる。
米国から輸入された大豆も同じルートで製油会社日清製油に渡る。
三井物産はこの両者を即席麺メーカー明星食品に仲介し、手数料をとる。できあがったインスタントラーメンは、スーパーマーケットやGMS・コンビニエンスストア・食料品店などに物産を通じて販売される。物産が各々の段階で得るマージンは率としては大変少ないが、これらの流通経路全体の取引高は大きいから利益額は膨大になる。このように流通経路の中で占める大手商社の比重ははなはだ大きいといわねばならない。
以上のように、日本の流通機構は、メーカーが支配するディーラー(電機・自動車・化粧品など)、衣料を中心とするGMS、食料品店であるスーパーマーケット、その他靴・衣料品・電気器具などの専門店、戦前からある百貨店や様々な問屋・零細小売業、そしてこれらすべてにかかわっている商社よりなる「モザイク状の複合体」といわれている。あまりにも複雑なため、海外企業の参入障害にもなり、しばしば非関税障壁として、日米構造協議の対象とされるほどである。